六本木歌舞伎羅生門(2019)

そういえばもうワンシーズン前の話になりますがおじさん(概念的なおじさん)が「ジャニーズのファンの女の子は顔しか見てないから、あんなすごい演出なのにもったいない」的な発言をしたの思い出しました。意図としては「女性だけじゃなく男性にも見てほしい」ということなのでしょうけれど、そして私も含めジャニヲタは間違いなく顔ばかり見ていますが、美しく素晴らしいものをそうだと理解することに性別は関係無く、私たちは顔以外もちゃんと見てるのです。お尻とか乳首とか。それこそ羅生門で健くん1秒たりとも白塗りじゃない顔見せてくれなかったしな…。冗談は置いといて本当に顔だけ見ているならばDVDの方が遥かに見やすいと思うのです。それでもその場でしか感じられない自担の熱を知るために私たちは今日もダッシュで新幹線に飛び乗り飛行機で飛び立ち自担に会いに行くのです。自担の予定は未定なのが悲しいところ。

冒頭は能の羅生門(らしい)で、市川海老蔵さん演じる渡辺綱市川右團次さん演じる茨木童子が戦うところから。髪の毛をぐるんぐるんしたり目を見開いていたり一般人のイメージする歌舞伎って感じでした。*1最後には渡辺綱茨木童子(鬼)の腕を切り落とします。動きで何が起こったかはしっかりわかるのですがまじで台詞が何言ってるかわからなくて少し不安になってきました…。
舞台は暗転して羅生門その場に変わります。三宅健演じる下人が客席から登場、顔面白塗りのがっつり歌舞伎メイクです。口語なので下人の心情がちゃんと言葉としてもわかりちょっと安心。芥川龍之介の原作通り職を失いどうしようもない現状を嘆く下人。近くにいたネズミにいつだか壁の向こうの屋敷で見た男がやけに自分に似ていたことを語ります。あの男が俺だったかも、いやあの男こそが自分で…話の途中でネズミは走り去ります。男の話を聞いてくれるものは何もいないのでした。
雨をしのぐために登った羅生門の楼は死体だらけ。その中で動いているのは死人の髪を抜き鬘を作ろうとしている老婆(市川海老蔵)だけです。老婆のことを「ケチな外道」と罵る下人ですがここの死人たちも同じように外道な行いをしてきたのだと言います。
「盗人にも三分の理か。では残りはなんだ」と反論する下人、しかし老婆はそんなことを言うお前はどんな身分なのだと聞き返します。生きるために悪(死人の髪を抜く、蛇を魚と偽って売る)へ踏み出す勇気が出ずにいる下人に対して、道を外れて荒野へ踏み出す勇気がないのならそこで死体と同じように寝ていろと言う老婆。下人はそれならば自分がここでお前を襲おうとそれを恨むまいな!と叫ぶと老婆の着物を奪い取ります。
「恨むなら俺に一歩を踏み出させた己を恨め、己を恨め!」
突き飛ばされた老婆はそのまま動かなくなってしまいました。
一歩を踏み出した下人は「これから都で荒稼ぎだ!」と生きるためのエゴに突き進もうとしますが背後から現れた茨木童子*2に斬られてしまいます。羅生門から転がり落ち倒れて動かない下人。
茨木童子にも理由があり、そのための行動であることがその語りからわかります。茨木童子とその家臣(家来?)たちは斬られた茨木童子の手が渡辺綱のもとにあること、その渡辺綱遊郭にいることを話します。腕を取り返すため茨木童子たちは去って行きました。

倒れたままの下人…ここでジャージ姿の市川海老蔵さんが突然やってきます。ここからはアドリブパート。倒れた下人を突いたりなんだりして起こしてから生き返らせてほしいと、次はこんな人生ではなく例えば渡辺綱の家臣とかそういうのに生まれたいと言う下人。実は市川海老蔵さんは神なので何か芸をしてこの場にいるお客さん(私たち)が満足したら転生させてあげると言います。海老蔵さんは健くんの鬼に斬られるときの芝居と「これから都で荒稼ぎだ」の言い方がお気に入りだったらしく後半よくものまねされていました。健くんの声真似…健くんそんな変な声じゃないですやめてくださいでも健くんが照れてて可愛かったからオールオッケーです健くんの唯一無二の声最高!!!!!
三味線ver.でTAKE ME HIGHERを踊ったり陳さん*3やったり扇子を動物に見立ててムツゴロウさんのものまね*4をしたり…とやっとのことで転生オッケーをもらった下人はその場で早替え、宇源太*5になります。そもそも羅生門平安時代なのかという疑問が出てくるほど歴史に弱くて本当に申し訳ないのですが、とりあえず平安貴族のような恰好をしている健くん(白塗り)に滝沢歌舞伎を見てから狂ったように「健くんに平安貴族の役をやって欲しい」と手紙を書きまくっていた私、狂喜乱舞です。

宇源太に下人としての記憶はなく、屋敷にいなければいけないのに出て行ってしまった親方様を探して駆けていきます。そんな宇源太を見て「どうしたんやあいつ」みたいなことを話す二人組み*6…しかし…わからない…!何を言っているのか…さっぱりなのである…!理解するのを諦めかけた瞬間「もしお侍さん」と声がかかります。「なにを仰ってるのかよくわからないんですが…」なんということでしょう、助け船が来ました。
二人組が説明してくれたところ、鬼の手を切ると災いが起こるとされるため7日間は家にいなければいけない(物忌)渡辺綱なのですがなぜか6日目にしてそれを破り出かけてしまったというのです。友人である二人はそのことで話をしようと渡辺綱のところに途中でした。
偶然にも声を掛けてきたのは渡辺綱がいる祇園屋の仲居。彼女に続いて祇園屋に向かいます。
楽しそうに遊ぶ渡辺綱は物忌を破った理由を語ることなく仲居たちに追いやられてしまいます。そうしたところで茨木童子たち扮する栃木こと女将集団が渡辺綱の部屋へやってきます。寝たふりをする渡辺綱。襲おうと構えたところで宇源太が駆けてきます。
やっと見つけた親方様にお説教する宇源太。家来である宇源太ももてなせと酒が注がれます。宇源太はそんなことよりも屋敷に鬼の腕がないことを気にしていたようで腕の在処を問います。実は持ってきていた渡辺綱。このあたりの台詞ではっきりと渡辺綱は栃木が茨木童子であることに気づいていることが分かります。
腕を入れた箱を宇源太に託し、渡辺綱は部屋を出ていきます。どうにか箱を奪おうとする茨木達。酒を飲ませたりお屋敷遊びで気を逸らさせようとします。

ここで見立て遊びというものをやるのですが私は本当にもうここが大好きで大好きで、お決まりの見立てもあるのですが毎回舞台上にあるものを使って時には時事ネタも入れて見立てているのが見ていてすごく楽しかったのです。そして毎回最後には宇源太を見立ててくれるのですが「皆様ご存知いい男、三宅健とはどうじゃいな」という掛け声とともに健くんがくるっとターンして決めポーズ。もうこれを見るたびに「いい男~~~~!!!」と心の底から拍手していました。

酒は苦手だと言いながらもギャグみたいな量のお酒を飲み干し、女をあてがっても興味を示さず、見立て遊びに乗じてもその手には乗らない宇源太。痺れを切らした茨木達は力ずくで奪うために襲い掛かってきます。
冒頭の渡辺綱茨木童子の戦いでもそうだったのですが、普段見慣れている殺陣よりもデフォルメされたとでもいえばいいのか動き方が違うのにどうしてこうも迫力があるのでしょうか。毎回守り抜いた腕を見てひといきつく宇源太とともに私もほっとしていました。
主命のために戦い、腕を守り抜いたかに思えたところを、また背後から現れた鬼に斬り付けられてしまいます。そうしてついに腕を取り戻した茨木童子なのでした。

アドリブパート再びです。またしてもジャージ姿で現れた海老蔵さん。最初はその姿を見てもわからなかった宇源太(下人)ですが話しているうちにどうして自分がここにいるかを思い出します。初日からここの台詞が少し追加されたのですが海老蔵さんが何故下人はまた茨木童子(鬼)に殺されたのか考えるよう導いてくれます。「鬼には鬼の道理」というものがあるのです。もう1回だけ生まれ変わりたいと頼まれ仕方なくOKしてくれる海老蔵さん(神)。ここで一幕は終わりです。

二幕が開くとそこはあの羅生門でした。雨宿りのために羅生門の楼へ上る下人。やはりそこには老婆がいて死人の髪を抜いています。老婆とのやり取りの中で既視感に襲われる下人。何かを感じながらも抗いきれずまた同じように老婆の服を剥ぎ取ります。そして同じように鬼に斬られるのです。
そうしてはいけないとわかっているのに同じことを繰り返してしまう、なぜ自分を抑えきれないのだと叫ぶ下人。身を起こした老婆が「何度目だ」と問いかけます。
道を踏み外しても、忠義一途に生きても、何度生きてもどんな人生を過ごしても茨木童子に殺されてしまう結末を迎えるならなぜ生きなければならないのだと、この残酷な時代に生まれた意味は何だと叫びます。その中でもうやり直すことは望まず生まれ落ちた場所を受け入れることを決めました。
ここでやっと老婆が言っていた「勇気」という言葉の意味が分かります。それは外道になれということではなく人の道を踏み外すことなく生きる勇気という事でした。気づいた下人の前で羅生門は開き、下人は自分の心の闇と向き合うこととなります。
鬼である茨木童子とその眷属に襲われ逃げまどいながらもどうにか進もうとする下人。この場面での茨木童子の動きと逃げる下人が美しく、ここの健くんのコンテンポラリーダンス*7を観るたびに息も忘れるほどのめり込んでいました。
逃げる下人、追い詰める茨木童子、二人のもとに三升屋兵庫之助三久が現れ、鬼を払います。心の闇と向き合い鬼を退治した下人のもとへ一本の糸が落ちてきました。それを掴んだ下人はどんどんと登っていきます。いつの間にか下人はあの時の服装から真っ白な服になっていて、あの糸が蜘蛛の糸であることが想像できます。糸は切れることなく、下人と三升屋兵庫之助三久が見得を切り舞台は幕を下ろしました。

二幕冒頭が一幕の繰り返しである上にアドリブパートからの続きのような感じになるのか「同じことを繰り返してしまう!なぜだ!」と嘆く下人に笑いが起こっていて、それは入った公演すべてだったのですが、私はここが全く笑えなくて、こんなぞっとすることはないと思います。何かがおかしいと、このままではダメだと、止めなければいけないとわかっているのに止められない。そんな経験が生きていたら人間誰しもあるはずです。特におたくなんて「わかっているのに自分を抑えられない」こと年に5000回はあるだろ。しかし人として生きていくこと、他人の道理を無視せずにいることは、自分のためにエゴイズムに走るよりも尊く、例え命を落とすことになったとしても下人が落ちる先が地獄でも救いは訪れるのかなあ…というような話でした。

この舞台が発表されたのは2018年9月のことで、それはつまり私が世界一好きなユニットの未来が無いんだと知った数日後のことでした。滝沢歌舞伎二十日鼠と人間に続いて3本目の舞台。気持ち的にも立ち止まりたくてたまらなくてそれでもこの六本木歌舞伎に健くんが呼ばれた意味を思うと居ても立っても居られなくて勢いままに東京で初日を観て、そして北海道まで飛びました。最後の最後に、市川海老蔵さんのそばで見得を切る健くんを観ていたら突然涙が止まらなくなって空港に向かう電車も空港でも果ては飛行機でもずっと泣いて、大泣きして東京に帰りました。もう会えない今だって世界で一番大好きなKEN☆Tackeyが生まれた、健くんが3年間出演した滝沢歌舞伎というものはこんなにも今の健くんに繋がっていて、市川海老蔵と並んで見得を切るなんていう思いもしない今がここにはあって、それは滝沢くんがいたからこそのものだと思うと、初めて悲しさじゃなくなんだかよくわからないけど感情が溢れて意味が分からないくらい涙が出ました。滝沢くんに会えないのは悲しいけれど、ただ、ようやく区切りがつけられた気がしました。
それは間違いなく札幌の地で羅生門を観たからだと思うのです。オムレツのケチャップほっぺについてたって、1人違うホテルなのが寂しいからホテル変えてもらったってバラされる健くんも、バラす海老蔵さんも、海老蔵さんの数々のちょっかいに「俺と友達になりたいってことなの?」って真っ直ぐに聞く健くんも、最高の友と言ってくれた海老蔵さんも、全部想像もしなかったことで、そうやって人を愛して人に愛されて真摯に舞台に向き合う健くんが好きだから、例えもう滝沢くんと並んでいる姿が見れなくても健くんに会いたい気持ちは止まらないし健くんが立つ舞台はとにかく観に行きたいなと未来のことをあれ以来初めて考えられました。あと我孫子副社長にも頭が上がりません。ていうか足向けて寝られません。三宅担足向けて寝られない人多すぎてそろそろ立って寝るしかなくなる。

歌舞伎と言っても歌舞伎座でやっているものとは違いましたが、解説や前知識があれば楽しめるんだなと分かったこと、舞台であれば結局どうであれ自分は楽しめることが分かれば、ガチの歌舞伎という伝統芸のへの足も少しは軽くなるというものです。そもそも歌舞伎は通しだけじゃなくて一部の演目だけ観られるそうなのでこの羅生門であったり滝沢歌舞伎を観に行くより遥かに金銭的に気軽なはずなのですが…。
個人的には姉を誘ったら気軽に来てくれて高校の頃見たノンスタイルのライブ以来ン年ぶりの生の芸事を楽しんでくれたのが嬉しかったです。しかも私が昼夜両方のチケを持っていたものだから両方観てくれて2回目のほうが面白かった!2回見る人がいる意味が分かった~と言ってたのも嬉しかったです。なかなか北海道公演がある舞台って無いので、地震の復興支援もありましたし、いい機会だったんじゃないかなあと思います。

ところで夏頃にお世話になってるフォロワーさんと会ったときに教えてもらったんですが、この羅生門で思い出の「わくわくホリデーホール」、また名前変わっちゃったみたいです。大好きだったのに…わくわくホリデーホール…名前からして鬼ハッピーじゃん…。

 

ところで「さるあるじ」という台詞があるのですが一度だけ「あるさるじ」と言っていた時があって、健くんのめちゃくちゃ練習するしめちゃくちゃ確認するのに突然びっくりするようなことを起こしちゃうとてつもない人間らしさが堪らなく愛しくなりました。ミスっちゃった可愛い~とかではなくて、そもそもそういう感情は自分には無いので、それは練習不足で間違えたとかそういう事ではないから愛しいです。本気でやっているからこそ「え!?」ってなるようなことがたまーにあるとんんんんんんんんってなるのです。
アドリブパートと言いつつ一応二回とも台詞は決まっていたのですがなかなか言わせてもらえず海老蔵さんにころころされていたような記憶があります。健くんって基本的に人のことを掌の上でコロコロコロコロコロコロとしている人なので年上の、一枚上手の人と話している姿がなんだか新鮮でした。かんかんとれーかちゃんが出てきたら膝の上に乗せてあげてたり喋りかけたり、そういう普段見れない姿をたくさん見させてもらえました。
この舞台通して一番面白かったというか健くんだなあと思ったのが、千秋楽公演で公演時間が長くなりすぎたらみんな飛行機の時間が困っちゃうよみたいな話をしていた時に客席を見ながら「でもみんなも海老蔵さんともっと一緒にいたいから」と言っていた時です。私は飛行機に乗れなくなったとしてもずうっと健くんと一緒にいられるだけ一緒にいたいけど果たして市川海老蔵のファンってそうなのか…?と一瞬疑問に思ったわけですが、健くんはそういう「好きだから少しでも一緒にいたい」というファンの気持ちをすごく理解して笑わずにそうだよね一緒にいたいよねと頷いてくれるし、それが健くんらしくて、やっぱり愛しくなりました。
終演後、共演の歌舞伎俳優の方たちのブログに綴られる健くんの姿は愛に溢れていて、素晴らしい舞台だったなとまた思ったりもしました。

健くんは想像もしなかったほどの言葉と気持ちをくれるアイドルで、それから思いもしなかった世界に連れて行ってくれる人です。顔はもちろんかっこいいけれどそれだけじゃどうにもならないのがショービジネスだと思っています。健くんに限らずそこで生き残っている彼らは強い。私は健くんのファンだけどなによりもジャニーズが好き。かっこいいやつらはいくらでもいるけど夢中になるのはジャニーズだけです。

*1:でも能らしい

*2:羅生門の鬼

*3:アウトデラックスで披露していた健くんの持ちネタ。中国の福建省から来た中国人という設定

*4:岡田准一の突拍子のないものまねを含め色んなものまねを見ましたが扇子と戯れるムツゴロウという世界一狂気のものまねだった

*5:健くんのアドリブでうけんたっきーとかに変わる

*6:貞光と金時?

*7:って言っていいんですか?あれはなんですか!?美ですか!?なるほど!!!!

最高の人生の見つけ方(2007)

最強のふたりって映画があるじゃないですか。それだと思って観たんですね、違う話でした。ところで今あらすじ思い出すために調べてたらなんと吉永小百合天海祐希で日本版リメイクとな!10月11日公開…日本かつ女性ということでどう変わるか大変楽しみであります!むんむん!賀来賢人も出る!むんむむん!

黒人で普通の労働者のカーターと実業家で大富豪のエドワード。合理主義なエドワードの方針により二人一部屋が絶対の病院に入院しているカーターと、その同室となったエドワード。病気の苦しみに共感したり徐々に親しくなる2人に医師から余命半年が告げられます。
以前から棺桶リスト(死ぬまでにやりたいことリスト)を書いていたカーター。エドワードの行動力と金銭力によって男2人、人生最後の旅に出ます。

プライベートジェットで移動してスカイダイビングしたりなんだりをする2人。家族のことも話します。離婚して娘からも絶縁されているエドワード、妻子を置いて最後の時間を友人と過ごすカーター。しかし、カーターは家族の元へ帰ることを決めます。離れる最後に娘との誤解を解くためのチャンスをエドワードに与えようとするもあまりに突然のことで激昂するエドワード、2人は結局喧嘩したまま別れることとなりました。
笑顔の家族に囲まれて幸せな時間を過ごすカーターと1人モデルルームのような部屋で食事の準備をするエドワード。
対照的な2人の姿が見えたところでカーターが倒れてしまいます。
カーターの病室にやってきたエドワード。話し合った2人は大笑いし、カーターは手術へ向かいました。しかし彼が帰ってくることはありませんでした。

カーターが最後に書いた手紙を読み娘に会いに行くエドワード。誤解は解け、生まれていた孫に幸せなキスをします。エドワードはカーターの葬式で答辞を読みます。少し前まで他人だったのに濃密な時間を過ごし、目の前にある死を分かち合った2人でした。
しばらくしてエドワードをこの世を去ります。エドワードの秘書は2人の遺骨を入れた缶をエベレストの頂上に置きます。棺桶リストの壮大な景色を見るという最後の1つが叶えられました。

主人公が自動車整備の黒人と大富豪の白人というわかりやすい社会性を現したものであり、ホモソーシャルな社会を示しているように感じます。時間は有限かつ少ないけれど莫大な資産により今までの人生でできなかった自由を謳歌する中間層の労働者と、資産を持ちながらも友人や家族を得ることができなかった大富豪というものは死を目の前にした2人だと考えると胸に刺さります。
ですがカーターは父であり、夫でした。死ぬ前の数ヶ月を出会ってすぐの男と延々と過ごしたことを家族はどう思ったのか。それが描かれず夫として戻ってきたことを受け入れるシーンしかありません。もちろん死を間近にした人間にそんな細かいことを叱責することなどできないのかもしれませんが、自由がなかったのは母親であるバージニアだって同じだったはずなのです。選んだのはカーター自身であり、また仕事を選んだのもエドワード自身なのです。
何かを得るには何かを犠牲にしなければなりません。それは社会の中間層には抗えない事実ですがカーターは幸運にも全てを得てそして眠りにつきました。

それでも置き去りにされているものもあります。男性側からの視点と女性側からの視点では見えるストーリーが大きく違うような気がします。

少年たち(2019)

1969年の初演以来数々のジャニーズが出演してきた舞台。2015年からはSixTONESSnowMan主演となっている舞台の映画化。少年たちTo be!が絶賛公演中で、関西では関西ジャニーズJr.が出演してやっている…けれど私は関ジュの現場に明るくないのでわかりません!*1
スノスト*2による少年たちは2017年と2018年のものだけ観たことがあるんですけれど、ストーリーとしては舞台と映画では異なります。舞台版のストーリーが個人的にすごく好きなので最後にそっちの話もしたいと思います。

映画は横山裕演じる看守長が川崎皇輝演じる息子と飛行機に乗っているシーンから始まります。窓から見える旧奈良監獄。そしてちらりと映る薬…看守長あまり具合が良くないみたいです。

時は遡ること2012年京本大我ちゃんが監獄に連れられてきます。こんな顔して怖いお兄さんを殴って逮捕されたみたいです、世知辛い世の中。同室はジェシーとコーチ、ジェシーはみんなのリーダーらしい。
看守たちの目を盗んでライバルたちと喧嘩する日々。俺たちは上等!借りただけ!元気いっぱい雑巾掛け!可愛い!見所は全力雑巾掛けで暴れる森本慎太郎くん!!!!
取り乱しました。
なんだかんだ楽しく(?)過ごしていたスノストと関ジュだけれど恐怖の看守長横山くんがやってきます。なんでもみんなは弱いらしいです。顔は強いのにね…。横山くんは昔受刑者たちから暴行を受け足を負傷し、その経験からかかなり厳しく指導してきます。そして弛んでいた生活が厳しくなり…そんな中でも果敢に殴り合うスノスト!ジェシーの辛い幼少期の記憶!親との確執!のちのち明かされる重度の癌!重度の癌?
もちろんほかの人たちも色んな経験をしてここに来たことがわかります。戸籍がない森本慎太郎くん…そんな彼に勉強を教えてあげている松村北斗くんはバレー部のエースアタッカーで成績優秀だった刑務所にいるはずもないタイプの人間ですが、祖母の介護で追い詰められているところに教師から生活態度を叱責され衝動的にハサミで刺してしまったという…北斗くん悪くなくない?先生悪くない?北斗くん悪くないよ!!!!あとは虐められていて虐めっ子を原付で引きずり回したコーチとかですね。
共通の友達の死があり顔を合わせるたびに喧嘩していたスノスト(のリーダーの岩本照とジェシー)ですが懲罰房に入れられた時の会話から少し心が通います。さよならとお別れのあいさつを言うかわり…うっうう…涙が…。
なんと驚いたことに既婚者かつ妻が妊娠中の受刑者がいました、ふっかです。出産が近づき不安になる妻にどうしても会いたいふっか。そして母親が重度の(?????)癌であることを知ったジェス。2人の思いが重なりスノストは脱獄して2人をそれぞれ妻と母親に会いに行かせることにします!まじでか。そんな中関ジュたちには病弱だった室龍太の死が告げられたのだった…Happy!!!!!!
新月の夜ついに脱獄計画は実行されます。協力し合いながらふっかとジェスをとにかく逃がそうとするスノストとモブおじさんたち。なぜかふっかだけでなく他の人を先に行かせて捕まるジェス。なんでや!お母ちゃんに会うんちゃうんか!
もうあとは壁を越えれば…!というところまで来たところで京本大我ちゃんが高いところに登り看守の目を逸らします。ふっかが無事壁を越えて脱獄成功したころ危ないから助けようと同じく登ってきた看守に驚いた京本大我ちゃんは足を滑らせ…。救急車だ!と叫ぶ優しい看守。スノストみんなに見守られ京本大我ちゃんは息を引き取ります。
翌朝のみんなは寂しさを滲ませます。何かが足りない…何かが…京本大我が足りません。
妻と生まれて間もない子どもが休む病室にたどり着いたふっか!笑い合う2人の後ろには警察がいます。妻の気持ちを考えると夫をぶん殴りたくなるシーンです。
数年後、ジェシーが奈良監獄を去る日になりました。あの横山くんが笑顔で見送ってくれます。何があったのか、そしてジェシーの母親はどうなったのかわからないまま、ホテルに改装された奈良監獄に横山くん親子がやってきます。
そして始まる煌びやかなショー!!!!!見ごたえ抜群で、海外からのゲストも楽しんでいます。ホテルスタッフとして働くコーチや他の人たちも更生し懸命に生きている姿が伺えます。鹿に追い詰められている人もいます。
京本を失いながらも歩みを止めず生きる少年たち…彼らの輝かしい夢は終わらないのです…。

エンドロール!こっからが本番!死んだと思った室くんも出てくるし冒頭のワンカメショーの愉快バージョンが見られます!楽しい!すごい!君はラウールを見つけられたかな?私は見つけました!ちなみに目黒蓮は「俺出てない」です!

ミュージカル映画(?)なので所々に歌と踊りが入るのですがストーリーとリンクしているわけではなかったり結構難しいです。台詞回しがおかしかったり言葉の使い方が間違っている(重度の癌)部分とあるのですが、それでも演じきる姿に心打たれます。ショーのカタルシスもあります。ジャニーズの入門書として履修してみるのもいいかもしれません。

本題であるところの舞台版のストーリーですが私の見た2年間だと脱獄というのではなく戦争がテーマにありました。ライバル関係にあるスノストが心を通わせていく中、アメリカ人と日本人のハーフであるジェシーに徴兵の知らせが届きます。友に背を向けて戦地へ行くジェシー
脱獄することなく刑期を終えたそれぞれはカメラマンやパフォーマー(?)になっています。日本で起こった戦争について知識を深めていく彼らと観客である私たち。
カメラマンになったふっかと北斗くん(兄弟)はジェシーがいる戦地の前線へ行くことになります。そこで人を撃つ、仕事を全うするジェシーの姿を目にします。そして悲しいことに目の前で撃たれるジェシー。大切な友を戦争により失う少年たちの心の痛みは計り知れません。
確か2017年の方だったと思うのですが、戦争についての話の流れで空襲から逃げ惑うふっかと北斗くん兄弟というシーンがありました。やっと見つけた防空壕は満員でどうか弟だけでもと北斗くんを入れてふっかはさらに逃げます。橋の下に隠れて過ごし、弟の所へ戻るとそこには力尽きた弟の姿があるだけでした。
私はSixTONES松村北斗くんが大好きで北斗くんにはいつも楽しく笑っていて欲しいのです。その北斗くんは、話の中とは言えど空襲に怯え、逃げ惑い、安全なはずの防空壕に身を潜め、そして死んでいました。日本でフューチャーされがちな特攻隊のようなエピソードもなく、北斗くんは生きようと逃げようとして死んでいきました。そんな経験を北斗くんに、ジャニーズに、自分を含めた今を生きる誰にもして欲しくはありません。ジェシーのように友が人を仕事といえど撃つ姿など見たくはありません。彼らの手にはマイク、立つ場所はスポットライトの当たるステージであってほしい。

少年たちの美しいパフォーマンスを見ながら、エンターテイメントを楽しいと、美しいと、政治的利用されることなく純粋に楽しめる世界が続くことを願うばかりです。

*1:28日に終演しました。ありがとう日生劇場

*2:SixTONESSnowMan

二十日鼠と人間 / ジョン・スタインベック

健くんが主演の舞台が発表されて半月ほど、スタインベックエデンの東しか読んだことがなく映画版も未見だったのでこれは何も知らずに行くべきか?と悩みつつ「演劇を意識した作品である」「悲劇」ということで先に読むことにした。とりあえず1回目読み終えたので感想。ネタバレどころかオチのはなしからします。ちなみにかなり短くてびっくりした166ページ、2時間あれば読み終わります。

滝沢歌舞伎の三年間のことは考えたけど全然まとまらないのでぼんやり生きてる。もうすぐデビューかあ!嬉しいね!

二十日鼠と人間ジョージとレニーの話。健くんはジョージ。レニーがいなければ気楽に暮らしていけるんだと何度も言ったジョージは、明日からどうやって生きるのか。私がジョージだったらレニーから解放されたと思ってしまうけれどジョージはきっとそうではない。冒頭でレニーがほら穴でも探して暮らすと言ったとき引き止めようと頑張っていたのはレニーと語る夢がないとジョージだって他のひとりで働く男たちのように変になってしまうからだったんじゃないか。
カーリーとカールソンはスリムとジョージが飲みに行こうとするのを見て「何を気にしてるんだ?」と言った。多分二人にとってはキャンディの老犬を撃ち殺したのもジョージがレニーを撃ったのも一緒なんだ。
せっかく、夢見ていた生活が現実になろうとしたのにレニーもキャンディも不用意にクルックスやカーリーの妻の前で話すし…もどかしくなってたら結局破綻のきっかけはそこじゃなかったんだよなあ。
レニーに悪気が無いのはわかるけどやっぱりあまりにも馬鹿すぎるから、ジョージ本当にどうしてレニーじゃなきゃダメだったの?
あー最初はジョージどうやって生きるだよと思っていたけどレニーを救うという名目で自分のことを救ったのもあるの?だから飲まずにはいられないの?はあああああ。てかレニーを撃ち殺した銃いつの間に取ったんだ?
読み返しもするけど映画版も絶対観てから舞台行こ!
最後のレニー撃つシーンどんなふうにやるのかめちゃくちゃ楽しみだしスリムとの最後のやりとりもどんな感情乗せてるか超楽しみやば〜〜!


こうは書いたけれどタイトルになっているOf Mice and Menの詩「ハツカネズミに」の第7節を読むとやはりジョージはもう夢を見ず「気楽に」稼いで遊んで過ごしていくのかなあ。知らんけど。
1秒も文章読み返してませんが知らんわ!!!!

みんなで応援!ピョンチャン2018

韓国は平昌で行われたオリンピック、パラリンピックの熱戦が幕を下ろし次はいよいよ東京だ!よりも「次はいよいよ滝沢歌舞伎だFOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!」って感じで今日も勢いMAXに生きています。内容には一切関係無いですが歌舞伎にテンションが上がって速攻で転職キめたので歌舞伎も五輪も東京で迎えることになりました、ウケる。

リオの時からさらに進化したユニバーサル放送、しかも今回はオリンピックとパラリンピック両方の番組が放送され、とても楽しむことができましたね。三宅担としてではなくただの視聴者としてオリンピックもパラリンピックと同じ形式で毎日放送してほしいと思うほど面白い番組でした。三宅担として言うと朝起きて総合で健くん、夜はご飯を食べながらEテレで健くんを見ることができて毎日ウキウキでした。放送チャンネルが総合になったことで平日はあさイチ終わりから井ノ原くんが振って健くんが受ける #イノッチ受け なるものができたりV6ファンとしてキャッキャしながらもありました。*1それはとても短いやりとりだけれど、みんパラが総合で放送されること、健くんが前の番組から繋がって話し始めること、井ノ原くんが番組の終わりに次に繋げること、そういう要因の1つ1つは彼らやその周りが積み上げてきた結果で単純な萌えとかそういう話ではないことを感じていました。
リオパラの時よりも自由度が上がったというか、「見えない」方にそして視聴者すべてに分かりやすく伝えるためにスタジオでのやり取りが増えたように思えて、話すのと同じように手話で語り掛ける健くんの姿にぐっとくるものがありました。*2*3見ていて面白かったのは福点さん主導でやった「副音声を聾者の方にもわかる形で体感してもらう」というコーナー。めっちゃ面白かった!目を閉じて番組を聴いてみる、音を消して番組を観てみる、そういう実際にやってみないとわからないものに触れるそんなきっかけになりました。聴こえない早瀬さんと観えない福点さんが話すシーンが多くありましたが、福点さんが指文字を使って早瀬さんに「『い』『す』?」と尋ねたときパッと明るくなった早瀬さんの表情が一番心に残っています。二人が話している姿はお互いへの思いやりに満ちたもので、でもそれは得難い奇跡ではなくて私にもきっと作り出せる光景で、別に聞こえるとか見えるとかそういうのを抜きにしたって人と繋がることの尊さであると思います。
パラリンピックは障害者の代表が出るわけではなく日本国民を代表しているのだと、その通りで、パラリンピックだろうとオリンピックだろうと、条件の違う選手がそれぞれの協議のルールの中でやるスポーツを楽しむものとして受け止めたい。*4オリンピックもパラリンピックも今までで一番見たし、一番楽しめた、楽しかった。

伝えるって難しいし、うまく伝わらないことはすごくストレスだけど、それでも健くんはいつもまっすぐに誰かに向かって伝えようとしていて、その姿を見るとこの人のこと好きになって良かったと思うしやっぱり大好きだなって思う。緑夢選手にインタビューしている映像が背景と合わさって本当に美しくて、健くんの美しさってただ外見が良いだけじゃなくて人に対する真っすぐさが溢れ出てるからなんだな。
私は、「健くんに降りた」ジャニヲタなので降りることを決めたあの日から自分は健くんのことを永遠に好きでいられるわけじゃないというのを覚悟して好きでいる。だから健くんが「女の子は移り気だから」とか「永遠は無いから」と話すのに「そんなことない、ずっと好きだ!」とは返せなくて苦しくなるけど、できないのにそういう言葉は言いたくなくて、だからこそ今の好きを大切にしたいし同じような感覚で今を楽しませようとしてくれるのを見ると嬉しくなる。気持ちも状況も永遠じゃないけど、私が2018年の冬も三宅健が大好きだったとか滝沢歌舞伎が楽しみで頑張れたとか、そういう事実は永遠に変わらないから、そう思いながら今日も三宅担をしたし明日も三宅担をします。*5それがずっと続いてずっとずっと三宅担でいれたらいいなあというのはすごく思っていることだし私に勇気があればずっと好きだって言えるのかもしれない。
健くんが踊ってるのを見ると夢みたいな時間だなと思うけど、あれは現実で、私がヒーヒー言いながら生活してるのも現実で、健くんがご飯食べて寝て起きて仕事してるのも現実で、健くんと過ごす時間は全部現実だから、それは忘れずにいたい。たぶん前にも言ったけど健くんの仕事へ向き合う姿勢は同じ社会人として心から尊敬するしそこも好き、全部好きだ。

健くんいつもたくさんありがとう。私は今日も健くんが大好きです。

心技体をより高めようとする選手たち。
体の条件やスポーツをする環境に合わせたマシーンや器具の進化のすごさ。
そしてそれを自分の体の一部のように使いこなしてしまう選手たち。
そこには、絶え間ない努力と長い長~い道のりがあり常に自分と戦い、自分を信じること。
自分の可能性を信じて、消して諦めない人間の強さを感じました。
そして家族、コーチ、技術スタッフ、サポーター、いろんな方々の支えがあってその思いが幾重にも重なってさらに選手たちの思いを強くし感動や最高の喜びを与えてくれるのだと思います。
人間には、無限大の可能性が秘められていて、自分次第でその可能性をさらに広げていけるんだという事。
僕も、もっと自分の可能性を信じようと強く思いました。

2018/3/19『みんなで応援!ピョンチャン2018パラリンピック

*1:みんパラは前日の夜収録みたいなので、健くんと井ノ原くんで事前に「こんな風に振るね~」とか話したんだろうか。何にせよ可愛いかった。

*2:「違うか」って言いながら笑う健くんに、いつだかのラヂオで「おじさんはおやじギャグを言って『違うか』って笑うよね」と話していたのを思い出した。おじさんだって思う日は特になかったけれど、とにかく思い出した。

*3:あと盲動健中にテンション上がって楽しくなっちゃってる感じ、貴田さんに「落ち着いてください」って言われてる感じ、ファンとしてどひゃ~~~~~ぎゃんきゃわ~~~~~と大変楽しく爆萌えさせていただいた、ありがとうNHK、ありがとう貴田さん、ありがとう世界。

*4:オリンピックにおけるナショナリズムはまた別の問題として。

*5:村岡桃佳選手が健くんの大ファンという話から三上さんに「三宅さんのファンということなので相当かわいいもの食べてるのかなって期待するじゃないですか」って言われててめちゃくちゃ笑った。可愛い健ちゃんが大好きだから好きな食べ物も可愛い的なイメージ超ウケる。三宅担のみんな~~~好きな食べ物何~~~?私はトマトと餃子と肉寿司!!!