六本木歌舞伎羅生門(2019)

そういえばもうワンシーズン前の話になりますがおじさん(概念的なおじさん)が「ジャニーズのファンの女の子は顔しか見てないから、あんなすごい演出なのにもったいない」的な発言をしたの思い出しました。意図としては「女性だけじゃなく男性にも見てほしい」ということなのでしょうけれど、そして私も含めジャニヲタは間違いなく顔ばかり見ていますが、美しく素晴らしいものをそうだと理解することに性別は関係無く、私たちは顔以外もちゃんと見てるのです。お尻とか乳首とか。それこそ羅生門で健くん1秒たりとも白塗りじゃない顔見せてくれなかったしな…。冗談は置いといて本当に顔だけ見ているならばDVDの方が遥かに見やすいと思うのです。それでもその場でしか感じられない自担の熱を知るために私たちは今日もダッシュで新幹線に飛び乗り飛行機で飛び立ち自担に会いに行くのです。自担の予定は未定なのが悲しいところ。

冒頭は能の羅生門(らしい)で、市川海老蔵さん演じる渡辺綱市川右團次さん演じる茨木童子が戦うところから。髪の毛をぐるんぐるんしたり目を見開いていたり一般人のイメージする歌舞伎って感じでした。*1最後には渡辺綱茨木童子(鬼)の腕を切り落とします。動きで何が起こったかはしっかりわかるのですがまじで台詞が何言ってるかわからなくて少し不安になってきました…。
舞台は暗転して羅生門その場に変わります。三宅健演じる下人が客席から登場、顔面白塗りのがっつり歌舞伎メイクです。口語なので下人の心情がちゃんと言葉としてもわかりちょっと安心。芥川龍之介の原作通り職を失いどうしようもない現状を嘆く下人。近くにいたネズミにいつだか壁の向こうの屋敷で見た男がやけに自分に似ていたことを語ります。あの男が俺だったかも、いやあの男こそが自分で…話の途中でネズミは走り去ります。男の話を聞いてくれるものは何もいないのでした。
雨をしのぐために登った羅生門の楼は死体だらけ。その中で動いているのは死人の髪を抜き鬘を作ろうとしている老婆(市川海老蔵)だけです。老婆のことを「ケチな外道」と罵る下人ですがここの死人たちも同じように外道な行いをしてきたのだと言います。
「盗人にも三分の理か。では残りはなんだ」と反論する下人、しかし老婆はそんなことを言うお前はどんな身分なのだと聞き返します。生きるために悪(死人の髪を抜く、蛇を魚と偽って売る)へ踏み出す勇気が出ずにいる下人に対して、道を外れて荒野へ踏み出す勇気がないのならそこで死体と同じように寝ていろと言う老婆。下人はそれならば自分がここでお前を襲おうとそれを恨むまいな!と叫ぶと老婆の着物を奪い取ります。
「恨むなら俺に一歩を踏み出させた己を恨め、己を恨め!」
突き飛ばされた老婆はそのまま動かなくなってしまいました。
一歩を踏み出した下人は「これから都で荒稼ぎだ!」と生きるためのエゴに突き進もうとしますが背後から現れた茨木童子*2に斬られてしまいます。羅生門から転がり落ち倒れて動かない下人。
茨木童子にも理由があり、そのための行動であることがその語りからわかります。茨木童子とその家臣(家来?)たちは斬られた茨木童子の手が渡辺綱のもとにあること、その渡辺綱遊郭にいることを話します。腕を取り返すため茨木童子たちは去って行きました。

倒れたままの下人…ここでジャージ姿の市川海老蔵さんが突然やってきます。ここからはアドリブパート。倒れた下人を突いたりなんだりして起こしてから生き返らせてほしいと、次はこんな人生ではなく例えば渡辺綱の家臣とかそういうのに生まれたいと言う下人。実は市川海老蔵さんは神なので何か芸をしてこの場にいるお客さん(私たち)が満足したら転生させてあげると言います。海老蔵さんは健くんの鬼に斬られるときの芝居と「これから都で荒稼ぎだ」の言い方がお気に入りだったらしく後半よくものまねされていました。健くんの声真似…健くんそんな変な声じゃないですやめてくださいでも健くんが照れてて可愛かったからオールオッケーです健くんの唯一無二の声最高!!!!!
三味線ver.でTAKE ME HIGHERを踊ったり陳さん*3やったり扇子を動物に見立ててムツゴロウさんのものまね*4をしたり…とやっとのことで転生オッケーをもらった下人はその場で早替え、宇源太*5になります。そもそも羅生門平安時代なのかという疑問が出てくるほど歴史に弱くて本当に申し訳ないのですが、とりあえず平安貴族のような恰好をしている健くん(白塗り)に滝沢歌舞伎を見てから狂ったように「健くんに平安貴族の役をやって欲しい」と手紙を書きまくっていた私、狂喜乱舞です。

宇源太に下人としての記憶はなく、屋敷にいなければいけないのに出て行ってしまった親方様を探して駆けていきます。そんな宇源太を見て「どうしたんやあいつ」みたいなことを話す二人組み*6…しかし…わからない…!何を言っているのか…さっぱりなのである…!理解するのを諦めかけた瞬間「もしお侍さん」と声がかかります。「なにを仰ってるのかよくわからないんですが…」なんということでしょう、助け船が来ました。
二人組が説明してくれたところ、鬼の手を切ると災いが起こるとされるため7日間は家にいなければいけない(物忌)渡辺綱なのですがなぜか6日目にしてそれを破り出かけてしまったというのです。友人である二人はそのことで話をしようと渡辺綱のところに途中でした。
偶然にも声を掛けてきたのは渡辺綱がいる祇園屋の仲居。彼女に続いて祇園屋に向かいます。
楽しそうに遊ぶ渡辺綱は物忌を破った理由を語ることなく仲居たちに追いやられてしまいます。そうしたところで茨木童子たち扮する栃木こと女将集団が渡辺綱の部屋へやってきます。寝たふりをする渡辺綱。襲おうと構えたところで宇源太が駆けてきます。
やっと見つけた親方様にお説教する宇源太。家来である宇源太ももてなせと酒が注がれます。宇源太はそんなことよりも屋敷に鬼の腕がないことを気にしていたようで腕の在処を問います。実は持ってきていた渡辺綱。このあたりの台詞ではっきりと渡辺綱は栃木が茨木童子であることに気づいていることが分かります。
腕を入れた箱を宇源太に託し、渡辺綱は部屋を出ていきます。どうにか箱を奪おうとする茨木達。酒を飲ませたりお屋敷遊びで気を逸らさせようとします。

ここで見立て遊びというものをやるのですが私は本当にもうここが大好きで大好きで、お決まりの見立てもあるのですが毎回舞台上にあるものを使って時には時事ネタも入れて見立てているのが見ていてすごく楽しかったのです。そして毎回最後には宇源太を見立ててくれるのですが「皆様ご存知いい男、三宅健とはどうじゃいな」という掛け声とともに健くんがくるっとターンして決めポーズ。もうこれを見るたびに「いい男~~~~!!!」と心の底から拍手していました。

酒は苦手だと言いながらもギャグみたいな量のお酒を飲み干し、女をあてがっても興味を示さず、見立て遊びに乗じてもその手には乗らない宇源太。痺れを切らした茨木達は力ずくで奪うために襲い掛かってきます。
冒頭の渡辺綱茨木童子の戦いでもそうだったのですが、普段見慣れている殺陣よりもデフォルメされたとでもいえばいいのか動き方が違うのにどうしてこうも迫力があるのでしょうか。毎回守り抜いた腕を見てひといきつく宇源太とともに私もほっとしていました。
主命のために戦い、腕を守り抜いたかに思えたところを、また背後から現れた鬼に斬り付けられてしまいます。そうしてついに腕を取り戻した茨木童子なのでした。

アドリブパート再びです。またしてもジャージ姿で現れた海老蔵さん。最初はその姿を見てもわからなかった宇源太(下人)ですが話しているうちにどうして自分がここにいるかを思い出します。初日からここの台詞が少し追加されたのですが海老蔵さんが何故下人はまた茨木童子(鬼)に殺されたのか考えるよう導いてくれます。「鬼には鬼の道理」というものがあるのです。もう1回だけ生まれ変わりたいと頼まれ仕方なくOKしてくれる海老蔵さん(神)。ここで一幕は終わりです。

二幕が開くとそこはあの羅生門でした。雨宿りのために羅生門の楼へ上る下人。やはりそこには老婆がいて死人の髪を抜いています。老婆とのやり取りの中で既視感に襲われる下人。何かを感じながらも抗いきれずまた同じように老婆の服を剥ぎ取ります。そして同じように鬼に斬られるのです。
そうしてはいけないとわかっているのに同じことを繰り返してしまう、なぜ自分を抑えきれないのだと叫ぶ下人。身を起こした老婆が「何度目だ」と問いかけます。
道を踏み外しても、忠義一途に生きても、何度生きてもどんな人生を過ごしても茨木童子に殺されてしまう結末を迎えるならなぜ生きなければならないのだと、この残酷な時代に生まれた意味は何だと叫びます。その中でもうやり直すことは望まず生まれ落ちた場所を受け入れることを決めました。
ここでやっと老婆が言っていた「勇気」という言葉の意味が分かります。それは外道になれということではなく人の道を踏み外すことなく生きる勇気という事でした。気づいた下人の前で羅生門は開き、下人は自分の心の闇と向き合うこととなります。
鬼である茨木童子とその眷属に襲われ逃げまどいながらもどうにか進もうとする下人。この場面での茨木童子の動きと逃げる下人が美しく、ここの健くんのコンテンポラリーダンス*7を観るたびに息も忘れるほどのめり込んでいました。
逃げる下人、追い詰める茨木童子、二人のもとに三升屋兵庫之助三久が現れ、鬼を払います。心の闇と向き合い鬼を退治した下人のもとへ一本の糸が落ちてきました。それを掴んだ下人はどんどんと登っていきます。いつの間にか下人はあの時の服装から真っ白な服になっていて、あの糸が蜘蛛の糸であることが想像できます。糸は切れることなく、下人と三升屋兵庫之助三久が見得を切り舞台は幕を下ろしました。

二幕冒頭が一幕の繰り返しである上にアドリブパートからの続きのような感じになるのか「同じことを繰り返してしまう!なぜだ!」と嘆く下人に笑いが起こっていて、それは入った公演すべてだったのですが、私はここが全く笑えなくて、こんなぞっとすることはないと思います。何かがおかしいと、このままではダメだと、止めなければいけないとわかっているのに止められない。そんな経験が生きていたら人間誰しもあるはずです。特におたくなんて「わかっているのに自分を抑えられない」こと年に5000回はあるだろ。しかし人として生きていくこと、他人の道理を無視せずにいることは、自分のためにエゴイズムに走るよりも尊く、例え命を落とすことになったとしても下人が落ちる先が地獄でも救いは訪れるのかなあ…というような話でした。

この舞台が発表されたのは2018年9月のことで、それはつまり私が世界一好きなユニットの未来が無いんだと知った数日後のことでした。滝沢歌舞伎二十日鼠と人間に続いて3本目の舞台。気持ち的にも立ち止まりたくてたまらなくてそれでもこの六本木歌舞伎に健くんが呼ばれた意味を思うと居ても立っても居られなくて勢いままに東京で初日を観て、そして北海道まで飛びました。最後の最後に、市川海老蔵さんのそばで見得を切る健くんを観ていたら突然涙が止まらなくなって空港に向かう電車も空港でも果ては飛行機でもずっと泣いて、大泣きして東京に帰りました。もう会えない今だって世界で一番大好きなKEN☆Tackeyが生まれた、健くんが3年間出演した滝沢歌舞伎というものはこんなにも今の健くんに繋がっていて、市川海老蔵と並んで見得を切るなんていう思いもしない今がここにはあって、それは滝沢くんがいたからこそのものだと思うと、初めて悲しさじゃなくなんだかよくわからないけど感情が溢れて意味が分からないくらい涙が出ました。滝沢くんに会えないのは悲しいけれど、ただ、ようやく区切りがつけられた気がしました。
それは間違いなく札幌の地で羅生門を観たからだと思うのです。オムレツのケチャップほっぺについてたって、1人違うホテルなのが寂しいからホテル変えてもらったってバラされる健くんも、バラす海老蔵さんも、海老蔵さんの数々のちょっかいに「俺と友達になりたいってことなの?」って真っ直ぐに聞く健くんも、最高の友と言ってくれた海老蔵さんも、全部想像もしなかったことで、そうやって人を愛して人に愛されて真摯に舞台に向き合う健くんが好きだから、例えもう滝沢くんと並んでいる姿が見れなくても健くんに会いたい気持ちは止まらないし健くんが立つ舞台はとにかく観に行きたいなと未来のことをあれ以来初めて考えられました。あと我孫子副社長にも頭が上がりません。ていうか足向けて寝られません。三宅担足向けて寝られない人多すぎてそろそろ立って寝るしかなくなる。

歌舞伎と言っても歌舞伎座でやっているものとは違いましたが、解説や前知識があれば楽しめるんだなと分かったこと、舞台であれば結局どうであれ自分は楽しめることが分かれば、ガチの歌舞伎という伝統芸のへの足も少しは軽くなるというものです。そもそも歌舞伎は通しだけじゃなくて一部の演目だけ観られるそうなのでこの羅生門であったり滝沢歌舞伎を観に行くより遥かに金銭的に気軽なはずなのですが…。
個人的には姉を誘ったら気軽に来てくれて高校の頃見たノンスタイルのライブ以来ン年ぶりの生の芸事を楽しんでくれたのが嬉しかったです。しかも私が昼夜両方のチケを持っていたものだから両方観てくれて2回目のほうが面白かった!2回見る人がいる意味が分かった~と言ってたのも嬉しかったです。なかなか北海道公演がある舞台って無いので、地震の復興支援もありましたし、いい機会だったんじゃないかなあと思います。

ところで夏頃にお世話になってるフォロワーさんと会ったときに教えてもらったんですが、この羅生門で思い出の「わくわくホリデーホール」、また名前変わっちゃったみたいです。大好きだったのに…わくわくホリデーホール…名前からして鬼ハッピーじゃん…。

 

ところで「さるあるじ」という台詞があるのですが一度だけ「あるさるじ」と言っていた時があって、健くんのめちゃくちゃ練習するしめちゃくちゃ確認するのに突然びっくりするようなことを起こしちゃうとてつもない人間らしさが堪らなく愛しくなりました。ミスっちゃった可愛い~とかではなくて、そもそもそういう感情は自分には無いので、それは練習不足で間違えたとかそういう事ではないから愛しいです。本気でやっているからこそ「え!?」ってなるようなことがたまーにあるとんんんんんんんんってなるのです。
アドリブパートと言いつつ一応二回とも台詞は決まっていたのですがなかなか言わせてもらえず海老蔵さんにころころされていたような記憶があります。健くんって基本的に人のことを掌の上でコロコロコロコロコロコロとしている人なので年上の、一枚上手の人と話している姿がなんだか新鮮でした。かんかんとれーかちゃんが出てきたら膝の上に乗せてあげてたり喋りかけたり、そういう普段見れない姿をたくさん見させてもらえました。
この舞台通して一番面白かったというか健くんだなあと思ったのが、千秋楽公演で公演時間が長くなりすぎたらみんな飛行機の時間が困っちゃうよみたいな話をしていた時に客席を見ながら「でもみんなも海老蔵さんともっと一緒にいたいから」と言っていた時です。私は飛行機に乗れなくなったとしてもずうっと健くんと一緒にいられるだけ一緒にいたいけど果たして市川海老蔵のファンってそうなのか…?と一瞬疑問に思ったわけですが、健くんはそういう「好きだから少しでも一緒にいたい」というファンの気持ちをすごく理解して笑わずにそうだよね一緒にいたいよねと頷いてくれるし、それが健くんらしくて、やっぱり愛しくなりました。
終演後、共演の歌舞伎俳優の方たちのブログに綴られる健くんの姿は愛に溢れていて、素晴らしい舞台だったなとまた思ったりもしました。

健くんは想像もしなかったほどの言葉と気持ちをくれるアイドルで、それから思いもしなかった世界に連れて行ってくれる人です。顔はもちろんかっこいいけれどそれだけじゃどうにもならないのがショービジネスだと思っています。健くんに限らずそこで生き残っている彼らは強い。私は健くんのファンだけどなによりもジャニーズが好き。かっこいいやつらはいくらでもいるけど夢中になるのはジャニーズだけです。

*1:でも能らしい

*2:羅生門の鬼

*3:アウトデラックスで披露していた健くんの持ちネタ。中国の福建省から来た中国人という設定

*4:岡田准一の突拍子のないものまねを含め色んなものまねを見ましたが扇子と戯れるムツゴロウという世界一狂気のものまねだった

*5:健くんのアドリブでうけんたっきーとかに変わる

*6:貞光と金時?

*7:って言っていいんですか?あれはなんですか!?美ですか!?なるほど!!!!